39. 引き出す
僕の「やる気・情熱」は感動に支えられています。それはたった一つではなく、
今までに経験した多くの出逢いの中にあります。
衝撃の強い大きな感動。取るに足らないように思える小さな感動。
どちらも積み重ねていくことで前へ進んでいこうとする力の源になっています。
昼間、電車で座って本を読んでいたら、目の前に20代~30代の女性4人が
立って話し始めました。断片的ですが、こんな話をしていました。
(髪の特徴と会話の中身は関係ありません)
短髪族:「・・・中学1年生と3年生がいるのよ。」
茶髪族:「進路を考えさせるのって親の責任でしょう。」
セミロング族:「そうよねえ。」
長髪族:「馬鹿じゃないんだけど、やる気が無いのよねえ。
何か教えようとしても、もう自分は解っているみたいな態度をとるの。
どうなってんのかしらねえ。」
茶髪族:「あるわねえ。それも親の責任じゃないの。」
短髪族:「それってかなり難しいわよ。」
続きがものすごく気になったけれど、駅に着いたので電車を降りました。
それからしばらく「馬鹿じゃないんだけど、やる気が無い。」という言葉が
耳の奥で響いていました。
僕は仕事柄、幼児から年配まで幅広い年代の方と逢う機会があります。
多いときには1ヶ月で延べ200人ぐらいと一緒に自然の中で遊びます。
そこには都会とは別の楽しみと同時に危険も当然ありますね。
楽しく過ごすためには、危機管理を見えない部分までやっておく必要があります。
ですから身体的なものだけでなく、参加される方それぞれの持っている
精神的なものもできるだけ早く感じ取れるよう努めます。
特に「意欲」については大切な要素のひとつです。
なんとなくそこに居る。もしくはあまりにもやる気満々。
そんな時はチョット要注意です。経験上、どちらも偏りすぎると危ないからです。
ここで先ほどの会話を振り返ってみましょう。
彼女達はどこかで無気力な子供たちと接する機会があったのでしょう。
そこで「やる気の無さ」が「親つまりは身近な大人の責任」として語られている
ところが興味深かったです。
いったい「やる気」って何だろう。そしてどこから来るのでしょうか。
あなたは今、「やる気度」何パーセントぐらいで暮らしていますか。
どんな状態にしても、何かきっかけや土台となる経験があるでしょうね。
「やる気を出せ!」とか「それじゃ駄目だ!」という強制や圧しつけの中には
得られるものがあまり無いように思います。
家畜化されそうな子供たちを救うために、身近な大人がすべきこと。
それは「自立するための手助け」です。
大人は子供の中にあるものを「引き出す」ことができればいいと僕は思います。
そのためにできることは満腹感や見せかけの充足ではなく、
何かに「感動」できる環境、機会をつくることではありませんか。
もちろん、大人であるあなたにとっても必要なことですよ。
感動が感動を呼び、やる気を引き出し、自立へと導きます。
*鉛筆を使わなくても描ける。この絵、実は消しゴムだけで描いたんですよ。
ただただ遊びながら紙の中にある赤ちゃんを引き出した。そんな感じでした。
完成した絵を見て、自分でも衝撃を受けました。すげえなあ。あー面白かった。