『野人魂』 TVチャンピオン野人王 大西琢也が綴るメッセージ
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星野道夫卓上カレンダー2006


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39.  引き出す

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僕の「やる気・情熱」は感動に支えられています。それはたった一つではなく、
今までに経験した多くの出逢いの中にあります。

衝撃の強い大きな感動。取るに足らないように思える小さな感動。
どちらも積み重ねていくことで前へ進んでいこうとする力の源になっています。

昼間、電車で座って本を読んでいたら、目の前に20代~30代の女性4人が
立って話し始めました。断片的ですが、こんな話をしていました。
(髪の特徴と会話の中身は関係ありません)

短髪族:「・・・中学1年生と3年生がいるのよ。」

茶髪族:「進路を考えさせるのって親の責任でしょう。」

セミロング族:「そうよねえ。」

長髪族:「馬鹿じゃないんだけど、やる気が無いのよねえ。
     何か教えようとしても、もう自分は解っているみたいな態度をとるの。
     どうなってんのかしらねえ。」

茶髪族:「あるわねえ。それも親の責任じゃないの。」

短髪族:「それってかなり難しいわよ。」

続きがものすごく気になったけれど、駅に着いたので電車を降りました。
それからしばらく「馬鹿じゃないんだけど、やる気が無い。」という言葉が
耳の奥で響いていました。

僕は仕事柄、幼児から年配まで幅広い年代の方と逢う機会があります。
多いときには1ヶ月で延べ200人ぐらいと一緒に自然の中で遊びます。
そこには都会とは別の楽しみと同時に危険も当然ありますね。

楽しく過ごすためには、危機管理を見えない部分までやっておく必要があります。
ですから身体的なものだけでなく、参加される方それぞれの持っている
精神的なものもできるだけ早く感じ取れるよう努めます。

特に「意欲」については大切な要素のひとつです。
なんとなくそこに居る。もしくはあまりにもやる気満々。
そんな時はチョット要注意です。経験上、どちらも偏りすぎると危ないからです。

ここで先ほどの会話を振り返ってみましょう。
彼女達はどこかで無気力な子供たちと接する機会があったのでしょう。
そこで「やる気の無さ」が「親つまりは身近な大人の責任」として語られている
ところが興味深かったです。

いったい「やる気」って何だろう。そしてどこから来るのでしょうか。
あなたは今、「やる気度」何パーセントぐらいで暮らしていますか。

どんな状態にしても、何かきっかけや土台となる経験があるでしょうね。
「やる気を出せ!」とか「それじゃ駄目だ!」という強制や圧しつけの中には
得られるものがあまり無いように思います。

家畜化されそうな子供たちを救うために、身近な大人がすべきこと。

それは「自立するための手助け」です。
大人は子供の中にあるものを「引き出す」ことができればいいと僕は思います。

そのためにできることは満腹感や見せかけの充足ではなく、
何かに「感動」できる環境、機会をつくることではありませんか。
もちろん、大人であるあなたにとっても必要なことですよ。

感動が感動を呼び、やる気を引き出し、自立へと導きます。


*鉛筆を使わなくても描ける。この絵、実は消しゴムだけで描いたんですよ。
ただただ遊びながら紙の中にある赤ちゃんを引き出した。そんな感じでした。
完成した絵を見て、自分でも衝撃を受けました。すげえなあ。あー面白かった。

38.  できない在り難さ

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自分ができないことがある。それって、とても在り難いことですね。
「そこに在ることが難しい」ということは言い換えれば、自分にとって
貴重な価値があるということかもしれません。

 価値あるものが何なのか。それを良く感じ、吸収していく必要が
ありますね。世の中に困難なことなんていくらでもあります。手に
負えないと思わせるものだって溢れていますね。

でも、よーく観ればどうでしょうか?あなたが「できない!」と
思っているものは何ですか。足りないものは何ですか。お金ですか。
物ですか。時間ですか。

そこにある習慣化されてしまいそうな不安を克服していきませんか。
これを読んでいるあなたには不安を「安心」に変えていける力が
きっとありますよ。

「できない!」、「わからない!」。これは子供達も魔法の呪文として
よく使います。これは特定の難しいことをしている時に出てくるのでは
ありません。何をしていても10秒もすれば「デキナイ!」と一度は
言ってみます。すると、すぐに近くの大人が素早く反応してくれるのです。

例えば靴紐が結べなくて、ふてくされた小学校高学年の子。
癇癪を起こしたようにジタバタ寝転がってみます。さらに魔法の呪文を
唱えています。さて、あなたはその時どんな行動をとりますか。

座らせてあなたが結んであげる。目の前で結ぶ方法を見せる。紐が無い
靴に変える。無理矢理でも自分で結ばせる。じっくり見守りつつ声をか
ける。靴を履かない。など等。

もともとは豊かな精神性と自力を腐らせないように気をつけましょうね。
僕は相手にとって何が必要かを全身で感じます。そしてあの手この手で
取り組みます。

目の前にあることには、いったいどれくらいの選択肢があるのでしょうか。
不安になってしまう一つの大きな理由として、視野が狭くなってしまうこと
が挙げられますね。心の余裕がないとも言えるでしょう。

 そんな時は最初に安心して取り組める環境を作りましょう。

緊張した心をほぐして、「大丈夫!」と自分に10回くらい言い聴かせます。
声に出すことが大切ですよ。
この他にも何か自分を取り戻すために魔法の呪文を作ってみるのがいいでしょう。

一つのできないこと。それは一つの方法を試してみた結果にすぎません。
まだ他の選択肢がいくらでもあることを思い出しましょうね。」
解らなければ書き出してみるのがいいでしょう。
何が相応しいのか色々とやってみればいい。

「できない!・・・かもしれないこと」を使って、
自分の視野を広げてみましょう。試行錯誤していくことであなたの中に
必ず「自力」がついてきますよ。

そのうち「できる!かもしれない」となり、いつの間にか「できる!」ことが
増えてきますよ。

その時、あなたは新しい自分に出逢えるでしょう。

37. 森開き



毎朝、起きるとまず初めに窓を開けます。朝の空気というものは本当に
気持ちが良いですね。何かが始まる目に見えない力。実際に窓を開け
ることで、空気と一緒にその力を自分の身体に沁み込ませるのです。
これはかなり元気がでます。一日、気持ちよく過ごせますよ。

だから、どこへ行っても、寒くても、雨が降っていても、できる限り
そうすることにしています。これはあなたが実際にやってみると良く解ると
想います。そこで深呼吸を5回ぐらいしてみればなおさらいいでしょう。

先日、友達から誘われて伊豆大島へ行きました。都心から船で約2時間。
海も山も程よく気持ちよいので年に1~2回訪問します。たいていは
5月のゴールデンウイークなのですが、今年は1月に行って面白いことが
ありました。

窓ではなく「森を開いた」のです。

森を開くってなかなか表現しにくいのですが、人と森がつながるお手伝い
とでも言えばいいでしょうか。家を建てる前の地鎮祭に近い感覚です。
こんな体験は初めてのことで、行ってみるまでは何をどうすればいいのか
解らないままでした。ま、そのまま行ったのですが。

ある秘密の森に到着。薪、蔓、人、塩、水、麻、野菜などなど。
そこで必要なものは、たった1日の流れの中でゆっくりと着実に
集まってきました。僕が持っていったものはいつものナタと発火具だけです。
数人で小さな穴を掘り、薪を集め、焚き火の準備をしました。
山海の幸を捧げるための祭壇も作りました。

やがて午後になり、島の内外から来た20人程で輪になって座りました。
寒くて寒くて、縮こまっている自分の身体そして、そこに居る人を
充分に感じ取り受け止めて、静かに眼をつぶりました。

呼吸を整えてから眼を開け、ゆっくりと火起こし杵(棒)を臼(板)にあてがい、
祈るように手を揉み合わせて回転させていきます。

しばらくして、「すっ」とするような納得のいく火がそこにありました。

輪の東を開け、火を中心にいれると一気に場が変わりました。
もちろん暖かくなったということもありますが、しばらくの間は
辺り一面が真っ白になりました。
身体を清める煙が渦を巻いてそこに居る人を順番に包んでいったのです。

遥か昔に僕達と共にあった何かが戻ってきた。
人と森のつながりを取り戻す瞬間に立ち会っているような、不思議な感覚でした。

帰ってきて、今想うこと。
アタマを少し脇に置いて、ただそこに在るものをあるがままに
直観的に捉えていくと解ることがある。

いつだって必要なものは必要なときに与えてもらっているのですね。

今ここにある日常は常にその先にある未来につながっている。それをどんなものにするのかは
僕達がアンテナをどれだけ磨けるか、そして受け取ったものをどう活かせるか
にかかっているのかもしれません。

またどこかで森を開く時がある気がします。
火を囲み、語り、唄い、踊り、幸を味わい、祈る。
そんな時を一緒に過ごせたらいいですね。

あなたも窓を開けることで心の窓を開いていきましょう。

36. 筋肉痛



人の痛みって何だろうか。

あまり考えたくはない。見たくもない。できれば気持ちよくなれる
ことを書きたい。だけど、僕らのより良い人生に貢献できるお宝は
「痛み」のベールを被っていることがあります。

筋肉痛って身体だけじゃなくて、心にもありますね。痛みを越えた
後に超回復によって強くなれる。それは解るけれども、正直言って、
痛みなんてないほうがいい。日常にあるストレス。そのほとんどは
人間関係のものでしょう。だから我々の心は危険なウイルスに常時
さらされているのと同じかもしれません。

争い、暴力、虐待、殺人、自殺。。。
心がピリピリするようなことが、どうしてこんなに多いのだろうか。

他人を傷つけたり、自分を否定したり、そんなことをせずに生きて
いけたらどんなにいいだろうか。無神経でいられたらどんなに楽だ
ろうかと思います。
じゃあ、いったいなぜこんな厄介なものを授かっているのだろうか。

今だからこそ、僕らは「痛み」というものをもっと眼を凝らして観る
必要があるのかもしれません。

僕は子供の頃、親に平手打ちをされたことがあります。俗に言う往復
ビンタってやつです。原因は既に忘却の彼方ですが、そこで殴られた
ことよりも痛かったことがありました。

躾と称して虐待が増えている事実を考えると、単純にお勧めするわけ
にはいきませんが、親の放った一撃。この言葉。

今でも人の痛みを想うとき、浮かんできます。

「お前の顔が痛いだろう。それは当たり前だ。それだけのことをした
のだからな。だけど、お前を殴ったこの手も同じように痛いんだぞ。」

人を殴ったり、苦言を呈するには同じかそれ以上の痛みを伴うことがある。
眼には見えない痛みを敢えて引き受けている人がいる。
そんな時があります。

後になってからでもいい。少し冷静さを取り戻したら、そんなことも視野に
入れてみるといいかもしれませんね。自分の身に降りかかる災い、それは
貴重な気づきのチャンスなのです。

あなたが子供に伝えたいこと。
それはきっと周りにいる他の子供たちにとっても必要なことでしょう。

全ての子供にとって大人の男性は父親。女性は母親です。
今からでも遅くはありません。

筋肉痛を厭わない。そんな大人が身近に必要だと僕は思います。

35. 泣く

ワケもなく泣けてくる。やっと。そうだ、やっとここまで来たなあ。
楽しいことばかりじゃないけれど、人生は退屈している暇などないね。

泣いたり、笑ったりしながら少しずつ自分に必要なことに気づいて、
歩いていくんだ。

誕生日を挟んで、ここ1ヶ月。人の「生き死に」がいつもより身近な
ところへ続けてやってきました。

大きな怪我。病気。精神的な重み。いろいろなものを抱えつつ、
みんなが懸命に生きている。少なくとも僕の周りにはそうやって、
生命を燃やしている人がいます。

どんなに辛いことがあったとしても、出口は必ずあります。
だから目の前にある事実をしっかりと両手で受け止めて、よく噛み、
ゆっくりと腹に収めよう。焦らず、ゆっくりと。いずれ、栄養になるから。

今が辛いなら、それをしっかりと味わおう。

声に出してもいい。泣いてもいい。
今はただそこにある、かけがえのない本当の自分に心を向ける時かもしれないね。

自分だけが解っている。感じている。そう想わせるいろいろなこと。
誰しもひとつやふたつあるよなあ。

親が子供に語りたくとも語れないこと。子供が親に言いたいこと。
男と女がお互いに持っている想い。友達。仲間。家族。

我慢ばっかりしなくていいよ。
涙を流して、たまにはそれぞれ自分の生命を洗濯しようよ。

きっと身近に理解して、見守って、受け止めてくれる人がいるからね。
いつか死ぬとき。それは必ず来るけれど、生命はまだここに在る。

泣くのは恥ずかしいと想っていた時期があったけれど、実はそうでもないぞ。
自然な涙。いいじゃないか。魂に潤いがある証拠だ。

悲しいときも、嬉しいときも、泣きたいときには泣けばいい。
そのままでいいじゃないか。

本当はワケもなく泣いているのではない。生きていればこそ。
そんな出逢いを深く味わっていこう。

34. 種を蒔く 

銀に輝く産毛をまとい、鉢の真ん中あたりから、すっと芽が出ていました。
「うわーっ」と思わず声に出してしまうほどの感激。嬉しさ。声にならない
想い。土からわきたつ生命の柱がそこにありました。

何かが生まれる。育っていくというのは、それだけで幸せを感じられますね。
そんな瞬間に出逢えた人はありがたいことに、他にはない暖かさで心が満た
されるのではないでしょうか。

生まれてから死ぬまで。日々、いろいろな出逢いがありますね。それら一つ
ひとつをどのようにとらえるのか。私達は答えのないことに答えを求め、良い
悪いのないことに意味づけをして、なんとか気持ちよくなれる方向を模索して
います。考えたり、迷ったり、間違えたり、うまくいったり、試行錯誤の中で
「幸せ」というものを求めているのでしょう。

幸せになるための種を蒔き、育てて、いつかどこかで自ら収穫する。
そして他から恵まれる。出逢いとはそんな過程の一部だと僕は想います。

だからこそ、何が起きてもどんな出逢いがあっても、
全てはまだ途中であると言えるのではないでしょうか。

桃栗3年。柿8年。人間は何年かかるのでしょうか。
僕はこれまで自分や一緒にでかける子供という土壌にたくさんの種を蒔いて、
育ててきました。周りの人、自然からはたくさんの肥料や水をもらってきま
した。本当にありがたいことです。

根っこを伸ばし、芽を出し、幹を太くして、枝を広げ、葉を、花を、実を
つけて。まだまだ先は長く何ができるか楽しみです。

さて、あなたはこれからどんな種を蒔いていきますか?

自分に。子供に。社会に。
数年後、数十年後の幸せにつながる種を蒔いていきましょうね。

あ、そうそう種蒔きのポイントがひとつあった。
「種は蒔かなきゃ芽吹かない」ということ。

とにかく一つでも二つでも良いと感じた種は蒔いてみる。そして、まずは
根を育てることにしましょう。大きく強く、しなやかに育つためにはどう
しても必要なことだから。

でもね、四六時中じいっと見てなくちゃ、肥料をやらなくちゃ育たないな
んてことはないですよ。時々忘れたって大丈夫。種そのものには自分で育
つ力が秘められていますからね。放置はなしですよ。

森だって同じこと。リスやカケスはドングリを集めては運び、埋めていき
ます。ときどき、どこだったか忘れてしまうけれど、そのお蔭であちこち
生命が芽吹いて森が広がっていきます。

さあ、僕らも幸せの森を作っていこうぜい♪

*12月5日講演会でアースウオーカーことポールが植えたドングリ。
 地球を歩いて木を植える人。5月には愛知万博に登場。沖縄も歩く。
 http://www.geocities.co.jp/NatureLand/8049/index.html

33. 足跡


言葉にしたい。何か伝えたい。表現したい。愛されたい。話したい。
わかって欲しい。そのどれもが正解であって、不正解でもある。

このモドカシイ気持ちをどのように捉えるか。自分の気持ちに光を
あててみると更に訳が分からなくなることがありますね。

少し掘り下げてみると、、、
動き始める前に必ず何かしら理由付けをシナケレバ!
そんな脅迫のような自己暗示がありませんか。

僕は自分が「好きだ!」とか「よしっ!」と感じられるものは
それだけで大きな価値があると信じています。

そこにどんな理由があるのかと問われても、答えが無い。
ただそう感じたから。湧いてくるから。
・・・と言うしかないことがあるからです。

何にでも「理由」や「目的」を求められる世の中で「ただなんとなく」
というのは抑圧されがちなものですね。
しかし、僕はそのなんにも無さそうなところにも意味があると想うのです。

真っ白な雪。降り積もった雪がふわっとそのまま目の前にあるとき。
あなたはどんな衝動に駆られますか。
綺麗だなあと見とれているか。それともいきなり飛び込むか。
ズンズンと足を踏み入れるのか。走り回るか。んーありすぎる。

一緒にでかける子供達を見ていると。
たいてい何も考えず、歩き始めます。
歩いた先に何が在るわけでもないのにまずは歩くのです。
そのうち、走ったり、転がったり、雪を手にとってみたり、
変化がでてくる過程を見ているというのは随分と面白いものです。

何かをした。しない。どっちでもいい。
そこに何か惹かれるものが在ればいいじゃないですか。

見とれていれば綺麗なままそこにある。飛び込めば人型。歩けば足跡。
転がれば・・・。
大きくても小さくても、見えても見えにくくてもいろんな跡がつきますね。

それら全ての点が時と共にオボロゲナ点線になり、同じところを往復して
いれば、はっきりと線になる。やがては道になっていく。

全ては一つの点からできていて、
一つの点はどんなものにでもなることができる。

自分の心のありようを道として感じられるその日まで歩み続けよう。
誰もが無心でいけばいい!
本当の自分はただそこに在るのだあああ。

雪の中でキャンプするというのは寒くて、綺麗で、予想外で、面白すぎます。
あー楽しかった。氷点下の世界で元気充電!

32. ソウゾウ力



想像力。この誰もが持っている力によって、何が起きているのか。最近、
何度か周りの友人と話したテーマです。

私達は自分自身のアタマで何か思い浮かべることができますね。それは
広範囲であり、局部だけであり、深くもあり、浅くもあり。自由自在で
あると思います。言葉を通して伝えられたもの。実際に自分で体験した
こと。そこからさらに多くの学び・気づきを引き出すことができる。そ
れが想像力の良い面だと僕は思います。

だから一人ひとりが想像できる世界は無限であるといっても過言ではない
でしょう。これは素晴らしいことですね。

人が何か生きていく上で源を持っているとしたらそれは目に見えないエネ
ルギーではないかと思います。先日3人で語り合ったときに、そんなこと
を感じました。そこでどれだけのエネルギーが交感されていたのかは解り
ませんが、費やした時間以上に元気になったからです。

さて、あなたは1日の時間をどんなことに使っていますか?何か手を動か
し、身体を動かし、心を向けること。仕事、趣味、休息、友達関係、子供
のこと、それ以外にもたくさんありますね。でも多くは自分も含めて、周
りにいる「人」のことに向けられていませんか。

そこでは意外にあれこれとイメージだけで物事を判断したり、決め付けて
しまうことがあるでしょう。僕は自らの想像世界に引きずり込まれないよ
うに注意したほうがいいと思います。「独りよがり」という落とし穴があ
りますからね。

僕もこうして、パソコンの画面を見ながら読んでほしい人を想像しながら
書いています。自分の想いはあるけれど、それがどれだけみなさんの役に
立っているのかはとても気になるところです。

僕はある意味、無手勝流を否定はしません。ただ、何をするにしても相手があ
る限り、「すり合わせ」が必要だと思うのです。

不安な想像が不安や不幸なことを呼びこんでしまうことがありますね。
何かを怖れるというのは自分の可能性を閉じてしまうことであり、気に入らない
ものは排除することにもなります。

それよりも、人と逢い、互いの息遣いを感じつつ、至近距離で語り
合うということ。そこにある摩擦力は何かが産み出される瞬間です。
不思議なことに摩擦を起こすことでいらぬ摩擦を軽減するとことも
できますよ。

あなたが持っている想像力を創造力につなげていきましょう。
そのために生身の人間が集まるということを私達はもっと大切にしたいですね。

*ロウバイ(蝋梅):落葉低木。樹高は2~4m。中国原産。
         黄色い花が1月~3月に咲き、香りが良い。
         観賞用に植栽されることが多い。

30. 彩り



包みを開けて驚いた。すごい・・・。しばらく沈黙して見惚れてしまい
ました。手から手へ旅をして、我が家に「お餅」がやってきたのです。
いてもたってもいられない。こんなに良いものは誰かに伝えなきゃ!と
いうことで、これを書いています。

12個のお餅を風呂敷に並べて、ハイポーズ。みんな、シャッキリ
直立不動です。パチリと写真を撮ったら、どれにしようかな。うーん。
迷います。困ります。食べたら無くなる。でも食べたい。でも綺麗だし。

 一つとして同じ色は無い。それはお餅だけじゃないですね。人間も
動物も植物も石も、見えにくいけれど空気だって違うものばかりだと
思いませんか。 

どの色が一番だとか、この色にならなきゃいけないとか。あれこれ
考えてはみるけれど、全部ひとつになってしまったらツマラナイ。
ひとつひとつが個性的で自分の色をモチつつも、同時に周りとモチつ
もたれつの調和がいいなあと僕は思います。

 あなたが好きな色はなんですか。身近な人にも聞いてみてください。
同じ青だと言っても、たぶんそれは全部違う「青」のことを話してい
るのだと思いますよ。同じだけど微妙な違いの存在を受け止めてみる。
そういう和の中の多様性を大事にしたいですね。

四季のある日本。日々の暮らしや自分の生き方に自然の持つ無限の彩り
を取り入れてみましょう。これってさり気ないお洒落かも。

お、ぷっくり膨らんできたぞ。ぷしゅーっと空気が抜けて、まるで息を
しているみたいだ。いただきまーす。美味しすぎる。涙。・・・。残り8色。

*一番上から右回りに 大豆もち。白もち。栃もち。甘茶もち。黒豆もち。こんぶもち1。こんぶもち2。
 不明(薄緑×2)。よもぎもち。柚子入りうるち米もち(×2)。